四国お遍路巡拝 十四番常楽寺~国分寺~観音寺~井戸寺 追憶3. 昭和4年
2018/08/10
四日目ここから寄井の町まで当時五十丁の谷道を荷物を背に積んだ馬に出合い乍ら歩きました。
天井川原、岡川原、橋の無い川原を渡り賃とられて歩く
それから、川に沿って約五里降って十三番にお参りし、すこし歩くと大きな川に出て、水のない川原を渡り、二銭とられました。
不思議に思ってその訳を聞くと、大水の時は大勢かかって渡すので、水のない時でも、渡り賃は要りますと云われました。
現在はどの川にも立派な橋がありますが、五十年前は天井川原、岡川原といって、阿波の国は橋のない所が沢山あって、渡り賃を出して、水のない川原をよく歩きました。
14番 常楽寺|15番 国分寺|16番 観音寺|17番 井戸寺
川を渡るとややこしい曲り、曲った道を六、七丁で十四番ですが、当時到る所沢山の犬がおって気持の悪い道でした。
現在は立派な新道が出来て通りませんが、昔の道も見違える程奇麗で、家並も良くなっています。
次の十五番へは五丁ですが、途中十四番の奥の院へ御参りしました。
十六番、十七番は田畑の中を通り、なんとなく遍路の気持のする道中でした。
荷物を送ってあるので、十七番門前で泊り、十一番で送った荷物を受取り又重い荷物になりました。
参考図
11 金剛山 藤井寺
12 摩廬山 焼山寺
13 大栗山 大日寺
14 盛寿山 常楽寺
15 薬王山 国分寺
16 光耀山 観音寺
17 瑠璃山 井戸寺
<<脚注>>
この『巡拝の思い出 徒然』は大阪楽心会創立者である田渕義雄初代会長が初めてのお遍路を高野山から始められた際の遍路巡拝の記録です。本文が載せられた昭和56年1月1日 『安楽道』(四国霊場第6番札所安楽寺機関紙)新年号特集にはご畠田秀峰住職より以下の ようにご紹介されています。
「51年前(昭和4年)の四国巡拝の様子を田渕義雄氏に書いていただきました。大阪楽心会は八十八ヶ所の各礼所の本堂、大師堂等に朱色のローソク立てを寄贈された団体で一度お詣りしたお方なら、このローソク立てを思いおこすことができる人が多いと思います・・」
文中51年前とあるのは、昭和56年起点であることをお断りしておきます。